Jardin d'Apsara Paris

アプサラのタロットカードリーディングとパリの暮らし

不滅なるもの

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今年の春、突如全世界を襲った疫病によって、いろいろなことがリセットされつつあると感じます。

 

直接・間接的に、すべての人が影響を受けているこの大きな災厄によって、あのまま普通の生活が続いていれば、変わるのに数十年かかったわたしたちの働き方を巡る考え方、世界の不均衡に関する気づきが得られました。

 

自分の内面と向き合うことのつらさと大切さも、たくさんの方が経験されたのではないでしょうか。

もっと掘り下げて、自分はいったいなにを目的に生きているのか、そもそも自分とは何か?という問いをもう一度されている方もいるでしょう。

 

わたしたちは、目的をもって生きることが素晴らしいと教えられます。自分の人生には何の目的があるのだろう、意味があるのだろうと悩まれる方は多いと思います。でもその立派な目的とは、よくよく確かめてみると自分が発見したものではなく、親や社会か、どこからかわからないところからなんとなく生まれてきたもののことが多いようです。

 

こうならなければ、これを手に入れなければという物質的な目的のみならず、何かに尽くさなければ、役に立たなければという一見献身的な目標、さらに次、次、と進んでいく過程で、自分の本質から実はだんだん離れてしまうことも多いと思います。

 

何かを成し遂げたい、何者かでありたいという自負は、自分が特別でありたいと思う気持ちの裏返しでもあると思います。そこにあるのは『我』を作り上げるマインドの働きです。個性があること、こういう人になりたいというコンセプトで固めたアイデンティティーを目指すこともそうです。

 

でもその我は、わたしたちを苦しめてはいないでしょうか?その我を達成することができなければ、おそれを感じたり、無力感を覚えたりするのではないでしょうか。

 

人間のすることの多くは、忘れ去られます。

昨日の時はもう巻き戻すことはできない。

無限の流れの中で、変化することがすべてなのです。生きることや存在することを、休むことはできません。

 

自分が何かをなすことの主体であるという意識を脱却し、愛から、よろこびからただ何かをすることによって、意識はこの我を脱却し、ただ『在』るということに近づいていきます。『我を忘れる』という境地です。

 

何をするかではなく、意識がどのようにあるか。自分が何かをしているという自覚なく、愛を持った行いを喜びとともにするとき。今ここにある自分の意識を、肉体を超越して開き、時の消えた世界を感じるとき。『自分は他より優れている』という、つかの間の満足は消え、自分とは何かを真に理解することが最も大切とわかり始めます。

 

アイデンティティーも個性も、過去も未来もそぎ落とした意識には、どんなかたちも、感情もありません。生きている限り、私たちの毎日にはいろいろなことが起こるでしょう。そのすべてが楽しく嬉しいことばかりではない。けれども、そういうことは一瞬で通り過ぎるのです。形あるものはすべて滅びる。しかし、あなたがまだそこに『在る』ことは変わらないのです。

 

その『在』に目的はなく、何にも属さず、消えることも、動くこともない、生まれることも死ぬこともない。ポジティブでもネガティブでもない、ただ、そこにありすべてを観想するもの。あなたのなかに、生まれ出で、死んだときにまたもどっていく純粋なる意識。

 

それが不滅なるもの、滅びることのない命です。

 

真実は成功も失敗も超えたところにある。

 

私とあなたの前にも、後にも、起こるのではなく、ずっと在るもの。

不滅なるもの。空であることと、満であることが究極には同じとわかるとき。

 

我々はみな、不滅なるものを己の中に見出し、回帰することができるのです。