Jardin d'Apsara Paris

アプサラのタロットカードリーディングとパリの暮らし

パリの暮らし

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薄緑色の花や植物の彫刻に飾られた優雅なミラボー橋のちょうど真ん中まで歩いていくと、エッフェル塔が、曇った空を背景に堂々とした姿を見せてくれる。セーヌ川にかかる有名無名の橋からのぞむその姿は、20年以上住んでもいまだに見とれる風景です。

フランス語を大学で第三外国語として習い始めたのは十代の最後のころ。最初に始めたドイツ語がどうにも相性がよくないのか、全然進歩しないので、フランス語に変えてみたところ、なぜかとても気分よく学ぶことができて、先生も喜んで教えてくれるようになりました。たった一年間の文法の授業だけで、大学のプログラムで南フランスに留学させてもらえることになったときは、嬉しくてたまりませんでした。そのころの私と言えば、まさに「フランスかぶれ」。フランス語を専攻にしていたわけでもないのに、専門だった古代史の勉強そっちのけで読む本はデュラス、アルトー、ユルスナール、映画はヌーヴェルヴァーグやフランスの現代もの、着る服はagnes.bと、ある意味では徹底していました。なぜそんなにフランスに惹かれたのかは、今でもよくわかりませんが、青春時代のすべてはフランスのエスプリとともに生きることに費やされていました。

その後、大学院時代にフランス国費留学生となり、パリのグランゼコールの研究生として、フランス全国で毎年200人しか合格しない学校で寄宿生活。ソルボンヌ大学で博士課程の準備過程を終えたころ、自分は研究者には向いていないということに気づきます。周りにいる天才秀才たちのような、智を極めようとするオブセッションを私は持っていない。ラテン語を子供のころから習っているような彼らと、競争する気力がない。日本に戻って、大学のポストを得られるのに何年かかるかわからない。そして何より、自分はまだパリにいたい。

その後縁があって、自分が子供のころから夢見ていた場所で働くことになり、パリでの生活は24年を越えました。結婚、出産、多くの出会い、別れ、パリから行く世界の様々な国々、数は少ないけれど、大切な友人たち。そういうものが積み重なって、私にとって毎日の現実となったパリは、雑誌に出てくるようなキラキラした場所とは少しかけ離れたところにあるようです。

それはたとえば、曇り空の下でかけたパレロワイヤルのカフェで、久しぶりに会える女友達と夢中で話しているとき、テラスのパラソルに突然降ってくる秋の驟雨。

息子がちいさかったころ、通りですれ違ったマダムたちが、ベビーカートをのぞきこんで、「まあ、良くご飯を食べている顔だこと!(息子は顔がお月さまのように真ん丸でした)」と言ったこと。

パリでももっとも連絡通路が長いのではないかと思える地下鉄シャトレ駅の、形容できないけれど一番パリらしいとしか言えない独特の匂い。

メトロの中で、服装もたたずまいもなんとも素敵なマダムが目の前にいて、ああ、これぞフランス女、と思っていたところ、降り際に彼女が、「これ、もう読み終わったから差し上げるわ」と、持っていた雑誌ELLEをくれたこと。

職場での100以上違う国から来ている同僚たちとの、バラエティーに富んだアクセントで話される英語やフランス語での終わらない会議。

日本から帰ってきて、空港やお店の出口で、前にいる男性がほぼ必ずドアを手で押さえて待っていてくれることに改めて気づくとき。

東欧での国際会議で一緒になった、だれもが知っているNYの美術館館長さん(フランス人)に、「君の英語にはフランス語のなまりがあるね、僕のように」と言われ、初めてそれを嬉しい言葉として受け取った自分。

商品が不備だったのでクレームを付けた恋人のいい方が悪かったのか、お店の人に、「不満なら自分の国に帰れ!」と言われたこと。と思えば、列に並んでいた私の前に平然と割り込んできたフランス人の年配女性に向って、私が口を開ける前に、「恥ずかしくないのか!」と説教した20代の青年。

パリのチャイナタウン13区で、今日は何を食べる?とワクワクしているときに漂ってくる旧植民地ベトナム、カンボジア料理の香り。

どうやって手に入れるのか、アパルトマンの扉のコードを開けて、水道の故障の時すぐ呼べるSOSサービスのちらしを郵便受けに配って歩く、インドやパキスタンの移民の若者たちの、白目の部分が薄暗いエントランスでもよく見える大きな瞳。

ゆっくりと一人で歩いて毎日のお買い物に行き、レジで小銭を一つ一つ数えながらお支払いをするお年寄りのうしろ姿。

 

自分は何を得るためにここに来たのか、最近はもう考えることすらしていない。

そんな自分に焦る気持ちと、いや、がんばってるよ、と思う気持ちと。

生きているだけでありがたいけれど、とことん生きたら見えるものをもっと見てみたい。

ぎらぎらと自分が欲しいものを追い求めていた時にあった渇望がなくなった今、これからまた、新しい世界が見えることを祈って。