Jardin d'Apsara Paris

アプサラのタロットカードリーディングとパリの暮らし

肌のお手入れ・ラゾットでシミを高速除去

f:id:ApsaraParis777:20201029011939j:plain遅れ遅れになっていた皮膚科の先生とのアポイントメントに朝いちばんに行ってきました。

仕事で酷暑の国に行って、太陽の照り付けるなか一日中外で視察したりすることが多かったため、日焼け止めを塗ってもすぐ流れ落ちてしまい、それが今になってシミ予備軍になって出てきてしまっているようです💦

特に左の頬の目立つところにあるシミはもう予備軍ではなく、レギュラーになりつつあり、コンシーラーでも限界かな、と思っていたところ。

 

先生に、全体の肌の様子を見てもらったら、濃くなってきていても、表面にあるシミはすぐにとってあげるとのこと。ええ?きちんとまたアポを取って手術の準備をするんじゃないのかと思いきや、手術台に寝かされ、マスクを取って、先生が取り出したのはドライアイスのように湯気の立つスポンジ状のものが先についている棒。

「ちょっとピリピリするわよ」と言いながら先生はそれを私の頬に三回ほどおしつけ、「はい、オシマイ。これから3週間、毎晩、SPF50の成分も入ったラロッシュポゼ―の傷薬を焼いた部分につけてね、そしてマスクのせいで肌がざらぜらしている顎のところにはアヴェンヌのクリームを塗って」

と・・・。

これは、マイナス160度くらいの液体窒素(l'azote)を患部に湿布することで、肌表面の細胞を破壊し肌を滑らかにする、フランスではよくつかわれるシミ取りのテクニックだそうです。

今日のお昼はある国の高官との会食に呼ばれているので、絆創膏を張るのはちょっと、と言ったら、貼らなくていい、マスクがあるからいいでしょう、と。

確かに、コロナになって、常にマスクをしていられるようになったので、友人もこれ幸いとシミ取りをしていました。

 

ちなみに、日本でもよく知られているAvèneも La Roche-Posayも、温泉水を主要成分にした薬局ブランド。同じ先生に数年前、スキンケアは高いブランド品は使わなくてよい、薬局ブランドのBIODERMAにしなさい、と言われて以来、基本的に朝のローションと保湿クリームはいつもそれ。夜は一週間に二回スクラブと泥パック、一回は高めの保湿や美白パック、美白セーラムもEUCERINというドイツの薬局ブランドのものを使っています。

ずっと同じものだと飽きてしまうし、高級ブランドのものは、香りも見た目もすてきなので確かに癒されますが、薬局ブランドに比べて肌に刺激が強すぎるのは確かです。

 

また、最近夏が終わるころに髪が傷みがちなことに気づいたので、9月から亜鉛と銅、赤海藻成分などの入っているサプリメントを常用しています。

 

シミ取りも含めた今日の診察費は、3000円強。全額医療費の払い戻し対象です。

フランスは、社会保障が非常に充実している国というのはよく知られていますが、シミとりも医療費としてカバーされるとはびっくりしました。

 

「一年中、日焼け止めはSPF50をつけることを怠ってはダメ。その根気があとになってから実るのよ。ほかの気になる部分は、美容整形外科医に相談してね」と言われてアポは終わり。

さて、このシミ取りが成功してきれいな肌になるかどうかは、1、2週間してまたご報告しようと思います💓

パリの暮らし

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薄緑色の花や植物の彫刻に飾られた優雅なミラボー橋のちょうど真ん中まで歩いていくと、エッフェル塔が、曇った空を背景に堂々とした姿を見せてくれる。セーヌ川にかかる有名無名の橋からのぞむその姿は、20年以上住んでもいまだに見とれる風景です。

フランス語を大学で第三外国語として習い始めたのは十代の最後のころ。最初に始めたドイツ語がどうにも相性がよくないのか、全然進歩しないので、フランス語に変えてみたところ、なぜかとても気分よく学ぶことができて、先生も喜んで教えてくれるようになりました。たった一年間の文法の授業だけで、大学のプログラムで南フランスに留学させてもらえることになったときは、嬉しくてたまりませんでした。そのころの私と言えば、まさに「フランスかぶれ」。フランス語を専攻にしていたわけでもないのに、専門だった古代史の勉強そっちのけで読む本はデュラス、アルトー、ユルスナール、映画はヌーヴェルヴァーグやフランスの現代もの、着る服はagnes.bと、ある意味では徹底していました。なぜそんなにフランスに惹かれたのかは、今でもよくわかりませんが、青春時代のすべてはフランスのエスプリとともに生きることに費やされていました。

その後、大学院時代にフランス国費留学生となり、パリのグランゼコールの研究生として、フランス全国で毎年200人しか合格しない学校で寄宿生活。ソルボンヌ大学で博士課程の準備過程を終えたころ、自分は研究者には向いていないということに気づきます。周りにいる天才秀才たちのような、智を極めようとするオブセッションを私は持っていない。ラテン語を子供のころから習っているような彼らと、競争する気力がない。日本に戻って、大学のポストを得られるのに何年かかるかわからない。そして何より、自分はまだパリにいたい。

その後縁があって、自分が子供のころから夢見ていた場所で働くことになり、パリでの生活は24年を越えました。結婚、出産、多くの出会い、別れ、パリから行く世界の様々な国々、数は少ないけれど、大切な友人たち。そういうものが積み重なって、私にとって毎日の現実となったパリは、雑誌に出てくるようなキラキラした場所とは少しかけ離れたところにあるようです。

それはたとえば、曇り空の下でかけたパレロワイヤルのカフェで、久しぶりに会える女友達と夢中で話しているとき、テラスのパラソルに突然降ってくる秋の驟雨。

息子がちいさかったころ、通りですれ違ったマダムたちが、ベビーカートをのぞきこんで、「まあ、良くご飯を食べている顔だこと!(息子は顔がお月さまのように真ん丸でした)」と言ったこと。

パリでももっとも連絡通路が長いのではないかと思える地下鉄シャトレ駅の、形容できないけれど一番パリらしいとしか言えない独特の匂い。

メトロの中で、服装もたたずまいもなんとも素敵なマダムが目の前にいて、ああ、これぞフランス女、と思っていたところ、降り際に彼女が、「これ、もう読み終わったから差し上げるわ」と、持っていた雑誌ELLEをくれたこと。

職場での100以上違う国から来ている同僚たちとの、バラエティーに富んだアクセントで話される英語やフランス語での終わらない会議。

日本から帰ってきて、空港やお店の出口で、前にいる男性がほぼ必ずドアを手で押さえて待っていてくれることに改めて気づくとき。

東欧での国際会議で一緒になった、だれもが知っているNYの美術館館長さん(フランス人)に、「君の英語にはフランス語のなまりがあるね、僕のように」と言われ、初めてそれを嬉しい言葉として受け取った自分。

商品が不備だったのでクレームを付けた恋人のいい方が悪かったのか、お店の人に、「不満なら自分の国に帰れ!」と言われたこと。と思えば、列に並んでいた私の前に平然と割り込んできたフランス人の年配女性に向って、私が口を開ける前に、「恥ずかしくないのか!」と説教した20代の青年。

パリのチャイナタウン13区で、今日は何を食べる?とワクワクしているときに漂ってくる旧植民地ベトナム、カンボジア料理の香り。

どうやって手に入れるのか、アパルトマンの扉のコードを開けて、水道の故障の時すぐ呼べるSOSサービスのちらしを郵便受けに配って歩く、インドやパキスタンの移民の若者たちの、白目の部分が薄暗いエントランスでもよく見える大きな瞳。

ゆっくりと一人で歩いて毎日のお買い物に行き、レジで小銭を一つ一つ数えながらお支払いをするお年寄りのうしろ姿。

 

自分は何を得るためにここに来たのか、最近はもう考えることすらしていない。

そんな自分に焦る気持ちと、いや、がんばってるよ、と思う気持ちと。

生きているだけでありがたいけれど、とことん生きたら見えるものをもっと見てみたい。

ぎらぎらと自分が欲しいものを追い求めていた時にあった渇望がなくなった今、これからまた、新しい世界が見えることを祈って。

 

 

あなたの本質を視覚化するアートセラピー

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3月からロックダウン、段階的解除を経て、10月半ばから夜間禁止令が発動されている現在のパリ。

それ以前は私の仕事の中核だった海外への出張が全くできなくなったこともあり、パリにいる時間をフル活用して、新しいことを自分の中に取り入れようと考えるようになりました。

いくつかのオンラインラーニングを始めたのですが、今日はその中でアートセラピーについて書いてみようと思います。

アートによって癒されるというコンセプトは、欧米のミュージアムでも始まっており、カナダなどでは、メンタルの不調の治療の一環として文化機関でのサービスを受けることを保険料の払い戻し対象として認めていると聞きました。

特定のアート作品や建造物と触れ合い、美しさや自分だけに訴えるオブジェのメッセージに癒されるということもあると思いますが、私が現在学ばせてもらっているアートセラピーは、自分自身の本質を視覚化し、アーティストでありヒーラーである自分を融合させるというワークが核になっています。

ここでいう「アーティスト」の意味は、プロとして作品をつくったり楽器を演奏したりすること、ではなく、表現者であるということです。

大きなアートブックに、自分が好きな写真、イラストやポストカードをコラージュしたりして、自分はどんな色、素材、感覚、形、に惹かれるのかを考え、その次に自分の本質について、何でもよいので思いつくままに絵にしてみる、というところから始まります。

次に、自分の中でその本質をフルに生きることを妨げているものって何かということを考えてそれも絵にしたり、粘土でオブジェにしたり、とにかく実体化させます。先生は、グレムリンでも、なんでもいいわよ、とおっしゃっていました。小さいときに、悪気はなくても大人に言われて傷ついた言葉、自分にはできないという内面の声・・・「内面の批判者」を、自分の本質と分離させるのです。

この実体化した批判者を、箱にしまうもよし、描いた紙を燃やすのもよし、目を閉じて、その批判者を小さく小さくし、さようならとドアの外に送り出すのもよし、だそうです。

私自身はこのシャドーセルフの部分を、完全に切り捨ててしまうことが難しいようです。

まだレッスンは続きますので、自分なりのアートセラピーに取り組んでみようと思っています!

「調整者たち」について

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夜明けが近づいて東の空が少しずつ明るくなってくる頃。調整者たちのことを考えるのはそんな時です。

調整者という言葉は、日本が誇るヒロイックファンタジー「グインサーガ」の著者、栗本薫先生が使われています。自らが寄ってきたるところを探し求めることで、この世と宇宙の生成の謎を明らかにしていく主人公・豹頭王グインを中心に、パロの薄幸の麗人アルド・ナリス、暁の女王リンダ、ゴーラの狂王イシュトヴァーン、アルゴスの黒太子スカールら、それぞれ巨大な運命を生きる登場人物が130巻に及ぶ叙事詩を紡ぐエンターテイメント。栗本先生は、稀有なこの物語をついに完成されることなく逝去されましたが、最後の方の数巻は既に明らかにされつつある物語の核心に触れていました。

 

我々の生きている世界は、宇宙という膨大な空間に浮かぶ粒子のようなもの…その中にも外側にも、我々の想像もつかないレベルや種類の文明度に達した存在がいるはず。彼らが地球の人々を導いたのではないかという説は昔から唱えられています。

巨石文明は何故可能だったのか。

簡単に行き来はできないはずの世界各地に伝わる古代の神々の伝説に共通項が多いのは何故か。インドヨーロッパ言語に分類されるが、既に古代には全く異なった言語として存在するサンスクリット語やラテン語に共通の単語があること。ピラミッド、地上絵、アンコールや南アメリカの巨大建造物に残された天体との繋がりの痕跡。

 

調整者たちの統べる世界で何か大きな禁忌をおかしたグイン王は、中原の運命を人間の世の栄枯盛衰のことわりを飛び越えてねじ曲げようとする侵略者ヤンダル・ゾッグの力から守ろうとする調整者たちに、「追放」され送られたらしい、ということです。

 

ここまで壮大なレベルの英雄のサーガでなくとも、地球と人類を見守る存在は確かにいて、我々が幸せな生を通じ輪廻から解放され、宇宙の「源」に回帰し、黄金律を支える力になりゆくことを、望んでいるのではないか?と思うのです。彼らは、わたしやあなたの心を曇らせる闇を取り除き、大小の試練を与えることでより強く美しい魂となり、同じ時を生きるほかの人を支え、類い稀ない今世を全うすることを応援してくれている、そう思います。よく天使やドラゴンがスピリチュアル界では語られますが、わたしには彼らは実体のないエネルギー体のように感じられます。必要な時に、地球の人に受け入れられやすい形状をとって顕れる…ということかと。彼らが送りたいと思っているメッセージを、もっともっと正確に言葉にするために、わたしにできる努力を続けていきます。

 

 

別れをマネージメントする方法

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深く愛しあって同じ時を過ごした人と別れるとき、どちらが言い出したことでも、お互いに納得した上でも、大きな喪失感があるのは当然のことです。

別れたという現実が頭では理解できても、昨日まで一緒の空間にいて、特別な間柄だった人がこれからはいなくなるということが、感覚として受け入れられない。

愛が始まった瞬間のこと、一緒に訪れた場所、特別な思い出。

そして何よりも、楽しく明るいことばかりではなく、お互いの中の闇と弱さによって結びついていたその絆をなくすということは、相手と一体になっていた自分の一部をなくすことと同じ、と、本当に誰かを愛したことのある人なら知っていることでしょう。

ほかの人には見せることのできなかった姿も弱さも、体も心も共有してきたその存在が自分の人生から去っていくということを、どうやって受け入れたらよいのか。

自分の人格や、人生の大切な時期の思い出を共有したその人が、これからは自分一人のものではなく、もうその人を独占することはできない。

その一方で、相手のいない世界を眺めると、自分の考え方や生活のパターンが、愛していたからこそどれだけ相手に影響されていたかにも気づかされるもの。

こわい一方で、相手と引き替えに今自分は再び、この世界のすべてを可能性として手にしている、と感じること。

一緒にいたとき、いつも心から満たされていたとはいえない。不満だってたくさんあった。それでも、麻薬のような渇望感がある。

元に戻りたいという気持ちは、やっぱり心から愛していて、相手を幸せにしたいから?

それとも、自分の寂しさや一人になる不安、もっと言えば相手が与えてくれていた「選ばれた自分」のイメージへの執着の方が大きい?

愛はエゴと切り離せないものとわかっていても、自分の相手への未練は執着ではないのか?

別れを決定的に受け入れるか、復縁を考えるか、少なくとも、別れた直後の時期はある程度一人になって自分の気持ちを見つめなおす時間が必要だと思います。

相手にはすぐにほかの恋愛がやってくるのではないか、誰かに取られてしまうのではという焦りもあるでしょう。

それでも、別れをいったん受け入れたことを相手にもわかるようにし、そこにある自分のいろいろな感情と現実を曇りなく見つめてマネージメントすること。

この関係が自分にもたらしていたメリットとデメリット、長期的な展望、二人の関係には共通のプロジェクトや目的があっただろうか、と考えてみてください。

あえてビジネス的な視点を取り入れ、苦しくても感情で動いてしまうことを避けることが、一番大切なことだと思います。

それによって、相手が記憶する自分の最終的な印象をどのようなものにするかというのは、実はとても大切なポイントです、関係を少なくとも中立に戻したいなら、追いすがったり弱いところを見せてはいけません。

まずはお相手の気持ちを忖度することはやめて、自分に全集中しましょう。

自分にばかり悪いところがあったように考えたり、あのときこうしていれば、と考えるより、傷つき不安に震えている自分を一番にいたわってあげなければいけないときなのです。今こそあなたの幸せを一番に考える時なのです。


女神さまを通じたお相手からのメッセージ💖【恋愛タロット・オラクルカードリーディング】

ようこそ      アプサラの庭へ

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アプサラのブログにお越しいただきありがとうございます!

私たちの人生は、一人一人がそれぞれ異なった姿の美しい花々、植物、木々で彩ることのできる庭のようなもの。種を植え、水をやり、虫を取り除き…四季を通じていつも、その時にふさわしい色彩と賑わいのある庭。その庭がどんな姿になるのかは、いつもあなた次第です。

 

アプサラの庭は、日本人として生まれ、24年間をフランス・パリで生きているスピリチュアル・ストーリーテラー「アプサラ」のくつろぎのサロンです。

アプサラとはヒンドゥー教の宗教芸術で、神に仕える天女のことで、カンボジアのアンコールの寺院の壁面彫刻などでその美しい姿を見ることができます。

 

20年近くのアンコールとのご縁もあって、この名前をYouTubeでもブログでも使わせていただいています。

 

アプサラは日本、フランス、英国で西洋考古学・歴史・人類学・美術・建築・文化と持続的開発などをテーマに高等教育を受けました。フランス・パリを拠点に、フルタイムの国際関係の仕事と日仏ハーフのティーンネイジャーの息子の母親業を兼業。アジア、アラブ諸国、アフリカ、ヨーロッパの歴史的聖地を頻繁に訪問。日仏英での本業の著作多数。日本には年に数回帰国しています。

 

2018年冬、YouTubeでタロット専門チャンネルを開設いたしました。子供のころから目指していた「調整者たち」との交流を、タロットカード・オラクルカードを通じて必要な方へメッセージをチャネリングすることによって可能にするべく、精進しています。

 

Apsara Paris - YouTube

好きなものは週末の朝、遺跡、温室、本、現代アート。

 

自分のコアバリューと行動の見直し

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断捨離、ミニマムライフ、持たない暮らし、ワードローブ改革…等、コロナが始まる前も、物質的になるべく軽い生き方をしようという動きは世界中で始まっていたように思います。

 

私自身は、自分の生きてきた須臾の時間に手元に来てくれたものを、今使うか使わないかの観点だけで捨てることはできません。

 

捨てようか捨てまいかのボーダーラインで悩むより、今私がしたいと思っていることは、自分にとってこれから折り返しに差し掛かる人生の中で本当に集中したいのはどんなことなのか、ということを頻繁に考えて、それと食い違っている行動や時間の使い方を軌道修正することを心がけるということです。

 

人生で大切にして行きたいこと。

 

多くの方と同じく、それは自分の時間と裁量を増やすこと、につきます。

今の私は、組織にいわば時間を売って月末には決まった額のお給料をもらって、不自由はありません。

 

けれども、自分の一生の時間を資産として計算してみると、毎日減り続けるその貴重な時間を、生きるための対価として売るだけで良いものか…と思うのです。

 

とはいえ、すぐに独立するには私のプロフィールは専門性が高い分ニッチが狭く、特に今のタイミングではベストとは言えない。大きな組織に所属していることで、自分だけではなく家族への手当ても厚く、必ずしもデメリットばかりではない。組織で働くことで、自分がいるところの効率性を高め、一緒に働く人にモチベーションを与え、有意義な人生の経験を共に作るためには、環境に不満を言う前に昇進するしかない。そのためにこれまでしてこなかったシニアマネージメントへの働きかけやポジショニングを心がけること、自宅での時間が増えたのを活用して、理論実践両方の新しいスキルを学ぶこと、成果型報酬のコンサルタント的な業務を増やしていくこと・・・と、アイデアはたくさんあります。

 

一週間に一度、自分のコアバリューを達成するために自分は何をしたのか、コアバリューに合っていない何を苦痛に感じたのか、それを減らすためにはどうすればよいのか?と、一か月後から一年後まで、見据えながら見直す習慣をつけていきたいと思います!

恋愛は今生のレッスン

私自身は、恋愛や結婚は経験したものの、むしろどちらかといえば長い間キャリアをフォーカスにした生き方をしてきたつもりでしたが、私のYouTube動画ではやはり恋愛リーディングに一番たくさんの視聴数がつきます。

 

数年前、ある雑誌でふと見かけた特集に、究極の勝ち組とは、家庭、キャリア、夫、子供、そして恋人すべてあり、の女性だというようなことが書かれてあり、その時の自分はたまたまそうだったけれど・・・これは勝っているということなのか?と違和感を感じた覚えがあります。

 

恋愛や結婚・出産を女性としての成功の物差しにするような考え方って、多くの人を(男性も)不幸にする場合があるし、これからはますますマイナーになっていくのではないでしょうか。少子化で税金を払う人が減るのが困るということを除けば、結婚も出産もむしろ人生のオプションの一つになった方が、個人は幸せに生きられるのではないかと思います。

 

私のリーディングでは、恋愛はこの世に転生した我々の受ける大きなレッスンの一つ、という位置づけです。

 

レッスンと考えれば、恋愛経験は多くの人とある程度自分の素の部分を見せて親密に関わることができた実績であり、一方では続くことが良いことだとするのならば、失敗の数が多いということでもあります。お相手とのかかわりから様々なパターンや展開を覚えて自分をより深く理解し、自分以外の誰かを深く愛することのよろこび、なくすことの苦しみ、心の移ろいやすさ、軽い関係の気軽さ、ときめきのなくなったときの課題・・・と、いろいろな引出しが多くなります。一生を、浮き沈みを経て添い遂げることが良いのか、一瞬だけでも来世までも忘れられなくなる強烈な恋愛体験がよいのか、というのはそれぞれの方の運命と好みの問題です。

 

究極的には数が多いかどうかということよりも、自分の魂が求め、相手と一体になるような愛を体験することで、その愛が、たとえ添い遂げることがなくともいつまでも燃え続け、輪廻する人生を温めてくれるようなことがあれば、素晴らしいと思います。

自宅を心と体の聖域に

f:id:ApsaraParis777:20201026061544j:plainロックダウンが始まった2020年3月から、私の家での暮らしは劇的に変わりました。

持ち家に住んでいた20代後半から30代を経て、賃貸に移行したのは、これからの人生設計を思い描いたとき、いずれ息子が家から巣立てば、私自身も地理的な自由を得られることを考え、ライフスタイルの変化によっていらなくなるものを持つのはやめようと思ったからです。パリでは資産としての家は確かに価値が落ちることはありませんが、もともと地価の高い地域では、価値の上昇も相対的に少ないですし、設備投資や管理費、不動産税、売買の際に公証人に7パーセントもの手数料を払うこと、それらを考えると、得なのかどうかわからなくなってきたこともありました。

パリ中心部の小さな商店街のちょうど真ん中の交差点、東西と南が窓になっていて、冬の長いパリでは私にとって不可欠の採光が気に入っている今のアパルトマンですが、まず最初に実感したことは、高い家賃を払って住んでいるこの家に、自分は今までほとんどいなかったのだということです!

家で仕事ができるということは、仕事時間と休憩時間にインターバルがないということです。専門店のカフェや、これまでいろいろな国への出張に行くたびにもらって飲みきれず棚に陳列されてきた様々な種類のお茶を、隣のキッチンで淹れて朝から晩まで好きな時に楽しむことができるようになり、職場にいるときにはお茶タイムの同僚とのお付き合いやストレスで我慢することが難しかったスイーツも、豆腐チョコムースをはじめとする低糖の手作りデザートで、糖分を劇的に抑えることができるようになりました。サプリメントに頼らず、食品だけで必要な栄養素を取るためのメニューの組み合わせを毎日考えるのも楽しかったです。ロックダウン中に体重が4キロ近く減ったのはそのおかげです。

もうひとつは、体へのケアができるということです。ロックダウンになってから、徒歩とはいえ20分以上かかっていた通勤時間が無くなり、早朝に運動のためにひたすら歩く日課ができました。そのまま仕事の開始時間前までに開店と同時に人のほとんどいないスーパーや八百屋さんでお買い物するのが、唯一の息抜きでした。家では、オンラインの会議の時に上だけをきちんとした服に変える以外、基本的にはヨガウェアやゆったりとした服で過ごすことができて、これまで毎日取り換える服や高いヒールの靴で体がどれだけ疲れていたかにも気が付きました。自分の注意が外へ全開だったロックダウン前に、私が自分のためにお金を使うところと言えば、職場や出張に来ていく服、化粧品、靴、といったものが中心でした。今は付け心地の良い下着、シルクのパジャマ、きちんと見えるけれど楽に着られる部屋着、そして思い出のあるお茶道具や食器をアンティークで、と、家でしか見たり使ったりしないものにシフトしています。

家で運動をしようとするとヨガをはじめオンラインのメニューが山ほどあり、リビングにヨガマットを置いて朝昼晩と習慣にするようになりました。自宅の窓から見えるほど近くのジムでないと通えないのでそこの会員になっていましたが、これは退会することにしました。

そして毎日朝家のなかを朝日で照らされながら眺めると、これまでは単に家にいないため目に留まっていなかったほこりや汚れがこんなにあるのかとショックでした笑。毎朝、みんなが使うスペースには掃除機をかけ、ほこりとりも頻繁にするようになりました。

最後に、ロックダウンをきっかけに、自分がどれだけ、それほど本質的でない対人関係や外からの刺激に考え方や気分を左右されていたのかに愕然としました。資本主義社会が私たちのわずかな人生の時間を削り取るためにどれだけの趣向を凝らして暇つぶしを提供しているのかに気が付くことができました。インドの賢人・クリシュナムルティは、恋愛も映画も読書も、すべては行き過ぎれば自分との厳しい対話から目をそらそうとする人間のための娯楽であると言っています。私にはそれらのすべてを捨て去る覚悟はまだありませんし、先人や同時代の人々が生み出した偉大な作品をこれからも知っていきたいとは思っています。けれども、それが逃げになっているのかもしれないと、自分に問いかける進歩も、確かに教えてもらったと思います。

家を自分の聖域だと思って、大切にしていきたいと思います。